大阪高等裁判所 昭和23年(ネ)241号 判決
控訴人が被控訴人に対し金六十二万七千二百五十円及びこれに対する昭和二十三年六月二十一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払うことを命ずる。
被控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じこれを二分し、その一を控訴人、その一を被控訴人の負担とする。
この判決は被控訴人勝訴の部分に限り、被控訴人において金二十万円の担保を供するときは仮にこれを執行することができる。
二、事 実
控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は「本件控訴を却下する。」との判決を求め、本案について「本件控訴を棄却する。」との判決を求め、その請求の趣旨を減縮し、「控訴人が被控訴人に対し金百十七万六千円及びこれに対する昭和二十三年六月二十一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払うことを命ずる。」との判決を求めた。
当事者双方の主張は、被控訴人の方で、本案前の抗弁として、原判決が昭和二十三年九月二十七日控訴人に送達せられたのに、当裁判所に控訴状が提出せられたのは同年十月十二日であるから、本件控訴は期間経過後に提起せられた不適法のものである。昭和二十三年十月当時進駐軍の書状の検閲のあることは当然予想せられるべきところであり、控訴期間満了に近い際京都のような近距離から当裁判所に控訴状を提出するにはこれを持参すべきものであつて、速達郵便に付したというだけでは期間経過の責を免れるものではない。本件控訴が期間経過後に提出せられたのは控訴人の責に帰すべき事由によるものであると述べ、
本案について、宮川正信は控訴人の長男であり、控訴人経営の宮川工務所の営業部長であるが、控訴人は自ら正信とともに本件において問題となつている売買契約締結に協力し又は正信に右契約の具体的取りきめを代理させたものであつて、本件契約に先だつて正信とともに他と本件契約と同種の契約をしたものである。すなわち、控訴人は正信とともに昭和二十二年一月八日宮川工務所内で石田恒次からパラフイン売買代金名義の下に六十二万円を詐取したことがあり、控訴人自身が内五十七万五千円を弁償して解決した事実がある。正信は宮川工務所営業部長として松山亮太郎、三好運を介して数名から鉄線の売買契約の手附又は代金名義の下に合計四十八万円を受け取つたが、内八万円については控訴人自身が領収証を発行しており、控訴人は三好に対し松山を宮川工務所の金融係のように申し向けたことがあり、正信が鉄道省から鉄線の発送状を貰つて来ると称して出かけたまま行方不明となつた際控訴人は三好に対し鉄線取引の責任は絶対に持つから安心せよと言明した事実がある。控訴人が正信からその詐取した金の一部三万七千六百八十五円を受け取つた外、正信に対する立替金と称して六万円を収受しており、更に控訴人が正信の依頼により宮川工務所と第三者との取引を誘致する手段として鉄線約七十トン入手のため控訴人が二十万円を支出してその手附を支払つた旨虚構の事実を申したことからみても、控訴人が正信と共謀していたことが明らかである。正信は昭和二十一年九月から昭和二十二年四月五日までの間に西田富三郎から二万円、西原隆雄から三万二千円、西田憲治から一万円を払下鉄線売買契約名義の下に詐取したが、その金は宮川工務所内で授受せられたものであり、控訴人にその責任がないものとはいえない。
本件において問題となつている契約の前提となつた都化学工業所辻本政礼と控訴人との間のクレオン売買契約をみるに、昭和二十二年四月初宮川工務所は愛知県教育会からクレオン一万ダースの注文を受けておりその見返り物資としてパラフイン、白蝋を受け取ることになつているからといつて、辻本にその締結を交渉して来たのは控訴人であつて、見返り物資は営業部長の正信に交渉させるということであつた。右仮契約及び本契約はいずれも宮川工務所内で控訴人と辻本との間でなされ、仮契約の際、手附二十万円の内金五万円は直接控訴人に渡され、昭和二十二年七月八日頃控訴人は辻本及び都化学工業所員北谷正一に見返り物資については直接愛知県教育会と交渉せられたいと言つて自ら委任状を書いて渡しておる。従つて右契約締結について控訴人は正信と協力したものであり、その契約の一部である見返り物資の交渉については正信に代理させたものである。
辻本と控訴人との間にクレオン一万ダースの売買契約の内七千ダース分については被控訴人は辻本の売主である地位を承継したものであり、仮に七千ダースについてでないとしても、少くとも二千ダース分についてはこれを承継したものであるから、本件問題の契約締結の責任者は控訴人である。仮に被控訴人が辻本の売主の地位を承継したものでないとしても、右契約は昭和二十二年四月十三日控訴人方において被控訴会社代表者秋山巖と控訴人本人との間に締結せられたもので、ただ控訴人は詳細の取りきめは正信と交渉せられたいと言明した。従つて右契約は控訴人が正信と協力し、具体的取りきめは正信に代理させたものであるから、控訴人が右契約の責任者であることは否定できない。
以上のように控訴人及び正信は当初からパラフイン、白蝋の引渡のできないことを知りながら共謀の上、見返り物資としてこれを引き渡すと被控訴人を欺いて被控訴人からクレオン七千ダースを詐取したものである。
仮に控訴人の共謀による不法行為が認められないとしても、控訴人は右売買契約についてその責に任ずべきものであるから、右見返り物資の引渡と代金の支払とを履行しないことによる損害を賠償しなければならない。
右契約において、見返り物資の引渡と代金の支払とを履行しない場合小売公定価格一ダースについて百八十円を支払う旨約束せられたのは、右当時業者はこれを<公>と称して一般且つ公然にこの価格によつて取引しており、当事者双方ともこれを公定価格と信じていたものである。右当時定められていた公定価格は極めて安価で原価を償うに足りず実情に適しないものであつて、右契約直後昭和二十二年五月四日附物価庁長官から各地方物価事務局長あて物四第一三〇号指示及び同年六月二日附近畿地方物価事務局告示第二四号によればクレオン十一色函入の小売販売価格はいずれも一ダース百三十四円四十銭と定められたことからみても、右約束の価格が客観的妥当性を失つたものでないことが解る。しかしながら被控訴人は特に前示指示に定められた卸売販売価格(荷造運賃とも)一ダース百十六円八十銭の割合により七千ダース合計八十一万七千六百円の支払を求める。
控訴人及び正信は共謀の上被控訴人から貸借名義で現金三十万円を詐取したものであるが、仮に控訴人の共謀が認められないとしても、控訴人はその代理人である正信がした三十万円の貸借についてその責に任じなければならないものであつて、右貸金の弁済期は昭和二十二年六月六日であつた。
仮に正信に本件各契約を締結するについて控訴人を代理する権限がなかつたものとしても、控訴人経営の宮川工務所の営業部長としてその権限外の行為をしたもので、被控訴人において正信にその権限あるものと信ずべき正当の理由があつたものであるから、控訴人はその責に任じなければならない。
被控訴人は控訴人及び正信の言を信じ愛知県教育会から同県商務課、総務課に申請することによつてパラフイン、白蝋を正当な手続で入手できるものと考えており、経済統制法令に違反するとは少しも予想しなかつたことがある。又パラフイン、白蝋が実際に存在しなかつた以上、これを対象とする統制違反という問題も起こらない。控訴人の債務不履行に基く被控訴人の主張については右物資に関係なく、クレオンの価格による損害賠償を請求しているに過ぎない。控訴人は自己側にも統制違反があることを認めながら、被控訴人に統制違反あることを主張するものであり、禁反言の原則によつて許されないと述べ、
控訴人の方で、被控訴人の本案前の抗弁に対し、控訴人は昭和二十三年九月二十七日原判決の送達を受け、同年十月九日京都市内の郵便局から当裁判所あてに本件控訴状を配達証明附速達書留郵便として発送したものであるから、通常翌十日までには当裁判所に到達すべく、仮にその間に進駐軍の郵便物の検閲があつたとしても、遅くとも控訴期間満了の同月十一日までに到達するものと控訴人は信じたものであり、このように信じたことについて控訴人に過失はない。ところが右控訴状は進駐軍の検閲を受けたため、期間満了の日の翌日である同月十二日当裁判所に到達した。従つて右のように一日控訴期間を経過したのは控訴人の責に帰すべからざる事由によるものであるから、本件控訴は不適法として却下せられるべきものでないと述べ、
本案について控訴人は宮川工務所名義で土木建築請負業を営みその長男である宮川正信に宮川工務所の営業の一部を管掌させていたが、本件契約は正信が控訴人に関係なくこれを締結したものであり、控訴人は全然これに与つていない。被控訴人は右契約に関して控訴人、正信、愛知県教育会総務部長長谷川兼吉の三名共謀による詐欺があるものとして昭和二十二年七月九日右三名を大阪地方検察庁に告訴したところ、取調の結果正信と富永徳三郎だけが同年九月四日起訴せられその後有罪の判決があつたが、控訴人は長谷川兼吉と同様起訴せられなかつたことからみても、控訴人が正信と共謀した事実の全然存しなかつたことは明白である。正信が石田恒次からパラフイン売買代金名義の下に詐欺を行つたとのことで控訴人も警察署の取調を受けたが共犯の嫌疑は全くはれた。ただ控訴人は父として正信のため示談金十万円を支払つたことがあるに過ぎない。控訴人は正信の鉄線売買に関する詐欺についても何等の関係はない。控訴人名義の八万円の領収証は松山亮太郎が勝手に作成したものである。控訴人が正信から金を受け取つたのは同人に一時貸与していたものの返還を受けたものに過ぎず、同人から利得金の分前を受けたものではない。正信は控訴人の訓戒を容れずふしだらな生活を送りその得た金を遊興費等に濫費していたものであつて、もし控訴人が正信と共同で事業をやつていたものならばこのような濫費を認めるはずはない。
都化学工業所辻本政礼との取引についても控訴人は何等関係がない。富永徳三郎が控訴人に、辻本が会いたいと申しておるとのことであつたので、控訴人は富永の案内で辻本の店舗に行き、その時始めて正信と辻本との間にクレオン、パラフイン等に関する契約が既にできていることを知つたのである。従つて控訴人は右取引の内容について辻本と話し合つたことなく、代金を受け取つたこともない。
正信は昭和二十二年四月十日辻本政礼との間に愛知県教育会へクレオン一万ダースを納入しその見返りとしてパラフイン、白蝋各十トンの交付を受ける旨の仮契約を締結し、同月十四日ギタークレオン二千ダースを愛知県教育会へ納入した。同月十七日に至り正信と辻本との間にクレオン一万ダース納入についての本契約が締結せられ、辻本は愛知県教育会にコーエイ、クレオン三千ダースを納入したのであるが、同教育会から右クレオンは品質不良であるから、今後ギタークレオンでなければ納入を中止せられたい旨申出があつたので、正信は同月二十八日辻本と合意の上右契約を解除し、同年五月一日被控訴人との間にクレオン一万ダースを公定価格の半額で同教育会に納入し見返りとしてパラフイン、白蝋各十トンの交付を受ける契約を締結した。しかし控訴人は被控訴人と右契約に関して話したようなことはなく、かえつて控訴人は本件取引に関係していないことを説明し、会見は雑談に終つたのである。
控訴人が被控訴人との間の右契約に何等の関係のないことは乙第一号証の契約書に「宮川正信(以下甲と称す)と秋山巖代理前田義憲(以下乙と称す)との間に左記条項により契約す」と明記してあり、乙第二号証の委任状の委任者名義が宮川正信となつておることからみても明らかである。
正信は愛知県教育会総務部長長谷川兼吉がパラフイン、白蝋を見返り品として提供するというのでこれを信用し被控訴人に伝えただけであつて、何等の詐欺行為は存しない。辻本が四月十四日同教育会にクレオン二千ダースを納入した際、これを出荷した被控訴人の代理人前田義憲は、長谷川兼吉と直接交渉した結果右見返り品の入手確実なものと判断し、正信と前示契約を締結するに至つたものであり、しかもその履行が完了すれば正信に七、八十万円の謝礼を交付することさえ約束したものである。長谷川の言によつて見返り品の入手確実と信じたのは前田だけでなく、右クレオン二千ダース納入に辻本の代理人として長谷川に会つた北谷正一も同様であつて、それがため同月十日の辻本との仮契約においては契約保証金五万円を正信に交付することになつていたのに、同月十七日の辻本との本契約においては契約手附金を二十万円に増額した程である。
正信が被控訴人から三十万円を受け取つたことに関しても、控訴人は全然関知していないのであるが、後日判明したところによると、正信は辻本との間の本契約を合意解除したので、辻本からその手附金二十万円の返還を迫られ、前田に右事情を告げ被控訴人から三十万円を借り受けたとのことであつた。
本件取引は指定生産資材であるパラフイン十トンを割当証明書によらず主務官庁の許可なくして譲渡することを目的とするものであつて、臨時物資需給調整法に違反するものである。又クレオンの代金を公定価格の半額とする代償として当時の闇価格一トン六万円以上のパラフイン、白蝋の引渡を受けようとするものであるから物々交換を内容とするものであり、不当に高価な謝礼の約束を伴つているから物価統制令にも違反するものである。従つて被控訴人が右約定に基きクレオン七千ダース及び現金三十万円を正信に交付したのは、民法第七〇八条にいわゆる不法原因給付にあたるのである。なるほど被控訴人が本訴において請求するところは詐欺による損害賠償であつて不当利得の返還を求めているものではない。しかし被控訴人の主観からみれば、不法な目的のため金品を交付した結果の損害の回復を自らその不法の事実を主張して求めるものである。そうすると実質的には不当利得の場合と何等異なるところなく、このような被害者もまた法の保護に値しないことは民法第七〇八条の精神からみても明らかであり、そのために相手方に不当の利得を留保させる結果を生ずるのは民法第七〇八条第九〇条の法規の反射的結果であつて、これがため同条の適用を制限する理由とはならない。被控訴人の損害賠償の原因は、パラフイン等と引換にするクレオンの取引にあるのであるから、統制違反と切り離すことができないものであつて、双務契約である本件契約全体の無効を来すものであり、パラフインが実際に存在しなくても統制違反を内容とする契約であることに相違はない。
控訴人は本件契約が双務契約で全体として無効であることを主張するものであつて、控訴人や正信の行為のみの違法を主張するものでないから、禁反言の原則を適用すべきでない。
と述べた外、原判決事実記載のとおりであるからこれを引用する。
<立証省略>
三、理 由
まず本件控訴が不適法かどうかを判断するに、原判決が控訴人に送達せられたのは昭和二十三年九月二十七日であるから、控訴期間は同年十月十一日満了するところ、控訴人は同月九日京都高野河原郵便局から当裁判所あてに本件控訴状を速達書留郵便として発送したが進駐軍の郵便検閲を受け、同月十二日当裁判所に到達したことは記録上明白であつて、当時進駐軍の検閲により郵便物の遅延することのあるのは予想せられたとしても、必ず京都から当裁判所に持参提出を要するものということはできない。同月九日に京都から速達便で発送せられた郵便物は遅くとも同月十一日までには当裁判所に到達するのが通常であるから、たまたま進駐軍の郵便検閲の結果遅延して控訴期間満了の翌日控訴状が到達したのは、控訴人の責に帰すべからざる事由によるものといわなければならない。本件控訴は適法である。
そこで本案について判断するに、被控訴人は控訴人は宮川正信と共謀の上当初からパラフイン、白蝋の引渡のできないことを知りながら見返り物資としてこれを引き渡すと被控訴人を欺いて被控訴人からクレオン七千ダースを詐取した外、貸借名義で現金三十万円を詐取したものであると主張し、原本の存在及び成立に争のない甲第七号証の一から十一まで、第八号証、第十五号証の二、成立に争のない甲第十六号証の一、二によると、宮川正信は昭和二十二年一月八日頃から同年二月六日まで三回に石田恒次からパラフイン売買代金名義の下に計六十二万五千円を詐取したが、控訴人から石田に五十七万五千円を支払うこととして示談が成立したことがある。又正信は昭和二十一年八月頃から昭和二十二年二月初頃までの間八回に松栄製線工業株式会社外六名から鉄線、波型鉄板の売買契約の手附又は代金名義の下に計五十万円余を詐取したが、控訴人は右の内松栄製線工業株式会社に対して宮川工務所名義の領収書を発行することを承認した。又控訴人が昭和二十一年十月二十五日頃正信に頼まれて松山亮太郎に対し鉄線七十トン買入の手附金二十万円を支出しておる旨虚構の事実を申したことがあり、控訴人は同年九月中右取引に関連して三好運に対し松山亮太郎は宮川工務所の金融係だと虚偽の事実を告げ、同年十月中三好に対し鉄線取引については絶対に責任を持つから安心して貰いたいと申したことがあり、控訴人が正信から同人が右のように詐取した金の内約十万円を受け取つた事実を認定することができるけれども、クレオン七千ダース及び現金三十万円は後段認定の事情の下に授受せられたものであつて、正信の詐欺について控訴人が共謀したとの点を確認するに足りる証拠はない。従つて控訴人の不法行為を原因とする被控訴人の請求は失当である。
進んで被控訴人主張のクレオン七千ダースの売買契約及び三十万円の貸借について控訴人がその責に任ずべきものかどうかを考えてみよう。
控訴人が宮川工務所名義で土木建築請負業を営みその長男である宮川正信に宮川工務所の営業の一部を管掌させていたことは当事者間に争がなく、原本の存在及び成立に争のない甲第一、第二号証の各一から三まで、第三号証の一から四まで、第四、第五号証、第七号証の十二から十五まで、成立に争のない甲第九号証の一から三まで、第十一号証、第十四号証、乙第一、第二号証、第三号証の一、二、第四号証の一、第五、第六号証、前示甲第八号証、第十六号証の一、二、当審における被控訴会社代表者秋山巖本人の尋問の結果によりその成立の認められる甲第十二号証、第三者の作成であつて当裁判所が真正に成立したものと認める乙第四号証の二、第七号証、当審証人前田義憲(第一回から第四回まで)、北谷正一の各証言、前示本人尋問の結果、当審における控訴人本人尋問の結果の一部を総合すると次の事実を認定することができる。宮川正信は昭和二十二年四月四日頃宮川工務所営業部長として愛知県教育会との間に同教育会に学童に配給するためのクレオン十一色函入一万ダースを公定価格の五割引で納入する旨の契約を締結したのであるが、正信は同教育会からパラフイン、白蝋を交付できる見込がないのに同教育会総務部長長谷川兼吉に頼みこみ、同教育会からクレオン一万ダースの見返りとして、パラフイン、白蝋各十トンを宮川工務所に交付するような書面(甲第一号証の一、三)を作成させた。その頃正信は都化学工業所辻本政礼及びその代理人北谷正一に対し、愛知県教育会にクレオン一万ダースを納入すればパラフイン、白蝋各十トンの交付を受ける旨の契約が成立しているように申し向け、数回交渉の上同月十日控訴人方事務所において正信は宮川工務所営業部長名義で辻本政礼との間に辻本が控訴人に対しクレオン十一色函入一万ダースを公定価格の五割引で売り渡し、これと引換に控訴人からパラフイン、白蝋各十トンを公定価格で買い受けその引渡を受ける旨の契約を締結した。同月十七日控訴人方居宅において本契約書が作成せられた際控訴人は同席し、辻本に対し自分は土木建築請負に主力を注いでおり、クレオンの取引は営業部長の正信に任せ切りにしてあると言明し、その契約保証金及び手附金二十万円は控訴人自身が受け取つた。辻本は被控訴人からクレオン二千ダースを買い受けた上同月十四日愛知県教育会に納入したのであるが、辻本が他から買い受け同月二十一日同教育会に納入したクレオン三千ダースは、その品質について同教育会から苦情の申出があつたので、正信は同月二十八日辻本との間にまだ納入していないクレオン五千ダースについては契約を合意解除し、既に納入した二千ダースの分については、控訴人はその代金を辻本に支払わず直接被控訴人に支払い、辻本は被控訴人に代金を支払わないこととし、又見返りのパラフイン、白蝋各二トンはこれを辻本に売り渡さないで、被控訴人に売り渡すこととした。同年五月一日控訴人方事務所において宮川工務所営業部長宮川正信と被控訴人代理人前田義憲との間に、当時まだ納入されていないクレオン五千ダースは被控訴人から控訴人に小売公定価格の五割引で売り渡し、辻本が被控訴人からさきに買い受けて納入したクレオン二千ダースの右同割合による代金は控訴人から直接被控訴人に支払うこととし、被控訴人は辻本にこれを請求せず、控訴人は被控訴人に見返りとしてパラフイン、白蝋各七トンを公定価格で売り渡しその引渡をする。右見返り物資を引き渡すことができないときは控訴人は代金全額を小売公定価格の割合で支払う旨の契約が締結せられた。その前日被控訴会社代表者秋山巖は控訴人方事務所において控訴人と右契約の内容について話し合つたが、その際控訴人は詳細なことは正信に任せてあると言明したのである。正信は辻本に対して前示契約保証金、手附金を返還する資金その他として同年五月三十一日被控訴人から金三十万円を弁済期を同年六月六日と定めて借り受けたものである。右の認定事実に従えば、正信は控訴人の代理人として被控訴人との間に右契約を締結したものであり、控訴人からその代理権を与えられていたものであつて、又右貸借も控訴人の責に任ずべき契約処理の必要上なされたものであるから、同様正信は控訴人から与えられた代理権に基き代理人としてこれをなしたものと認めるのを相当とする。当審証人赤松潤郎の証言、当審における控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できない。乙第一号証の契約書の前書には「宮川正信(以下甲と称す)」と記載せられているけれども、右前書に契約の相手方として「秋山巖代理前田義憲(以下乙と称す)」と記載せられ、右契約書末尾に契約者として「宮川工務所営業部長宮川正信」と並んで「福徳産業株式会社秋山巖代理前田義憲」と記載せられておるから、右契約は宮川工務所営業部長としての宮川正信との間になされたものと認められる。乙第二号証の委任状は宮川正信名義であつて宮川工務所の肩書の記載がないけれども、右契約の処理に関して発行せられたものであるからその肩書の記載を省略したものと認められる。他に前段認定をくつがえすに足りる証拠はない。従つて控訴人は前示売買契約及び貸借についてその責に任じなければならない。前示甲第二号証の二、三、成立に争のない乙第二号証、当審(第一、四回)証人前田義意の証言によると、宮川正信は控訴人の代理人としてその代理権に基き被控訴人から同年五月二日クレオン二千ダース、同月十五日同三千ダースを受け取り、前示四月十四日納入の同二千ダースと合わせて合計七千ダースを受け取つたのであるが、ついに被控訴人に対しパラフイン、白蝋の引渡をしなかつた事実を認めることができる。
被控訴人は右契約において見返り物資の引渡と代金の支払とを履行しない場合クレオンの小売公定価格一ダースについて百八十円の割合による損害賠償を支払う旨の約束があつたものであつて、右契約のなされた昭和二十二年五月一日当時定められた公定価格は極めて安価で原価を償うに足りず実情に適しないものであり、業者は前示価格を<公>と称して一般且つ公然にこれによつて取引しており、当事者双方ともこれを公定価格と信じていたものである。右契約直後同年五月四日附物価庁長官から各地方物価事務局長あて物四第一三〇号指示及び同年六月二日附近畿地方物価事務局告示第二四号に定められたクレオン十一色函入の小売価格が一ダース百三十四円四十銭であることからみても、右約束の価格が客観的妥当性を失つたものでないことが解る。被控訴人は右指示に定められた卸売販売価格(荷造運賃とも)一ダース百十六円八十銭の割合により七千ダース合計八十一万七千六百円の支払を求めると主張するけれども、控訴人が見返り物資の引渡と代金の支渡とを履行しない場合はクレオンの小売公定価格による代金を支払う約束であつて、損害賠償を支払う約旨でないことは前示のとおりである。又たとえ、契約締結当時定められていた価格の統制額が原価を償うに足りない程安価で実情に適しないものであり、その後間もなく統制額が改訂された事実があつたとしても、いやしくも契約締結当時法令によつて統制額が定められている以上、これを起えて代金の支払を求めることは許されないと解するのを相当とする。そして右契約当時適用せらるべき統制額は、昭和二十一年六月二十九日大蔵省告示第五〇〇号に定められたものによるべきものであるが、前示甲第七号証の十三によると、被控訴人がクレオンの製造販売業者であることは明らかであり、前示のように目的物は多量であり、控訴人の納入先の愛知県教育会から最終消費者の学童に配給するものであるから、右告示に定められた卸売業者統制額によるべきものといわなければならない。ところが右告示には八色函入と単色との二種類の規格を掲げるだけで、十一色函入のものについて指定していない。しかし反証のない限り八色函入と十一色函入は、その本数が異るだけでその他の規格は全然同一と認められるから、八色函入の卸売業者統制額一ダース三十四円を基準とし、八対十一の割合で按分算出した一ダース四十六円七十五銭を以て十一色函入の統制額とするを相当とする。従つて控訴人は被控訴人に対し右割合による七千ダース分計三十二万七千二百五十円の支払義務があるに過ぎないものである。
控訴人は前示売買契約は指定生産資材であるパラフインを割当証明書によらず主務官庁の許可なくして譲渡することを目的とするものであり、又クレオンの代金を公定価格の半額とする代償として当時闇価格一トン六万円以上のパラフイン、白蝋の引渡を受けようとするものであるから、物々交換を内容とするものであり、不当に高価な謝礼の約束を伴つているから、経済統制法令に違反し無効であると主張するから考えてみよう。
前示甲第七号証の十四、第九号証の二、第十四号証、乙第四号証の一、二、当審(第一、二回)証人前田義憲の証言、当審における被控訴会社代表者秋山巖本人尋問の結果によると、当時クレオンの製造原料の入手が困難であつたので被控訴人は正信の言を信じ、愛知県教育会に学童配給用クレオンを納付すればその見返りとしてその製造に必要な原料であるパラフイン、白蝋が同教育会から交付されるものと考え、その当時加工業者が官公署から指定生産資材の交付を受けこれに加工して納付する事例が往々あつたので、これと同様に愛知県教育会が同県庁内商務課等と連絡をとり、正規の手続により引渡を受けることができるものと信じていたものであることが認められる。被控訴人がついにパラフインの割当証明書を入手することができず、譲渡について主務官庁の許可を得ていないとしても、右のような事情で正規の手続により引渡を受けることができるものと信じていたものであるから、右契約全体が公序良俗に反して無効となるものということはできない。又被控訴人はクレオン代金についての統制額の規定をくぐるためパラフイン、白蝋の交付を受けることを約したものでなく、クレオンの製造に必要な原料が正規の手続により入手できるものと信じたものであるから、いわゆる物々交換について正当の事由があるものといわなければならない。更に右契約に附随して履行完了の際被控訴人から正信に謝礼を支払う約束ができたことを確認できる証拠はない。右契約を無効とする控訴人の主張は採用できない。
そうすると控訴人は被控訴人に対しクレオン十一色函入七千ダースの卸売業者統制額一ダース四十六円七十五銭の割合による三十二万七千二百五十円及び前示貸金債務三十万円合計六十二万七千二百五十円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和二十三年六月二十一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものといわなければならないから、被控訴人の控訴人に対する本訴請求は右限度において正当としてこれを認容すべきものであるが、その余の部分は失当としてこれを棄却すべきものである。そこでこれと同趣旨でない原判決を変更することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 大野美稲 熊野啓五郎 村上喜夫)